父性の復権
講師 東京女子大学文理学部教授 林 道義 平成16年3月16日 於:如水会館 【無断転記転載を禁ず】 社団法人 如 水 会 責任編集
|
◆内容目次
みなさん今晩は。東京女子大の林道義です。今日は「父性の復権」についてお話をさせていただきますが、私の『父性の復権』という本が出たのが1996年でして、大分世間で話題になりました。お読みいただいている方もいらっしゃるかもしれないので、どのくらいか、ちょっと事前調査をさせていただきます(笑)。「もう読んだ」という方は手を挙げていただけますか。あっ!10人ぐらいだけですね。そうしますと、やはり基本的なところからお話することになりますが、まぁなるべく本とダブらないように、基本は最小限にしてお話したいと思います。退屈されるかもしれませんが、私は何処でも、居眠りをされる方は起こすことにしております(笑)。人生の先輩の方々をいまさら起こすのは忍びないのですけど、居眠りされるのが大嫌いで、大学の授業でも学生には絶対に居眠りさせません。今の大学の先生たちは気の弱いところがあり、「俺の話が詰まらんならしょうがないや」って(笑)、居眠りを許す人が99.9%です(笑)。だけど私は「詰まらなくても居眠りはいかん」と言って、全員を起こしますね。私の学問も実は面白くないのですが(笑)、なるべく退屈されないようにお話しますので、よろしくお願い致します。
父性の復権と言いますが、「父性」とは何ぞやということが必ず問題になり、最初に定義しないといけない。私の本の冒頭に父性とはなにかが書いてあります。
父性とは、「@家族をまとめ、A理念を掲げ、B文化を伝え、Cルールを教える」と定義しました。「まとめる」ということは実は非常に大切なことですが、女性達の中には、すぐに「家族をまとめるのは女だっていいじゃないか」と仰る方がいます。男でなければいけないのだという話をもっと後でしますが、ともかく家族をまとめる、あるいは組織をまとめるにはどうしたらいいか。そのために一番大切なのは「中心というものを明らかにすること」ですね。中心の人物なり、理念なりを真ん中にして全体の組織化が行われていく。家族がまとまっていくという場合においても、父親が中心に、あるいは上にいて、どっしりとまとめていくことによって、初めて家族がまとまるのです。
戦前は家父長の命令権は絶対ですから、よきにつけ悪しきにつけ、父親あるいは戸主を中心にして家族がまとまっていました。しかし戦後は男女平等・親子も平等ということになってきて、どんどん家族がバラバラになって、最近では家族の絆は薄れて、家庭教育もろくに出来ない家族が増えております。家庭教育、家族の再強化ということがいま日本の課題になっておりますが、他方でアメリカは既に家族を回復させようということで、ブッシュ大統領は多額の予算をつけて「家族再生」に取り組んでおります。
アメリカはいろいろ批判されますけど、アメリカの良いところは「悪い。これを直さなきゃいかん」と決めたら、国が一丸となってわーっとやるというところですね。
日本のダメなところは、悪いと分かっていても、なかなか直せないというところです。自分の国の悪口を言ってもしようがない、話を先に進めます。
父親が子供あるいは家族に対してどういう性質を持っていなければならないか、私がそう考えるようになった切っ掛けをお話しすると「父性とはどういうことか」が分かっていただけると思います。これは本にも書いてありませんから、読んでくださった方にも新鮮だろうと思います。先程の紹介にはなかったのですが、私は心理療法、いわゆるカウンセリングとか、そちらのほうの仕事も20数年以上従事しております。
20数年前、非常に珍しい、新しい現象に私は気づかされました。それまでの心の病の患者たちと全然違うタイプの患者さんが出現するようになったのです。自慢するようですが、私が最初くらいに、それに気がつきました。どういう現象か?
それまでの患者さんというのは、少なくとも元気(エネルギー)はもっていたが、そのエネルギーの使い方がおかしい、狂っている。こういうのが心の病の特徴でした。たとえば、強迫神経症というのがあります。自分ではそうしたくないのに、どうしてもそうしてしまうという病です。たとえば、不潔恐怖症というのは、外で吊り革につかまり汚れてしまうと、家に帰ってから、石鹸で1時間ぐらい手を洗っています。あるいは体が汚れたのでお風呂に必ず入り、どの箇所も百回ずつ擦(こす)るという信じられない行動をとるのですね。お百度という言葉はありますが、私はカウンセリングをする立場から実際に試してみました(笑)。ヒリヒリ痛くて、翌日はもうお風呂にも入れません(笑)。風呂に入れない日は外出できないので、そういう人は一日おきにしか外出できないのです。
この例からも分かるように、その使い方がおかしいだけで、エネルギーはある。こういう子供たちや青年にしても、私たちのカウンセリングがうまくいき、正常化しますと、世間並の人たちよりも遥かに素晴らしい人生を歩むケースが沢山ありました。
また、病気でなくても、たとえば暴走族あるいは不良少年になって暴れまわっているようなエネルギーが非常にある青年たちと付き合っていると、まともな人間になって並の人より遥かに素晴らしい人生を切り開いて行く人たちと、多くの出会いがありました。
だからあの頃は、心理療法とかカウンセリングをやることにやり甲斐がありました。それは、よくなることが多かったからです。
ところが、いつしか、全然治癒しない連中が出てきたのです。どういうことかというと、患者に心のエネルギーが感じられない、「やる気がない」わけです。心理症状としては、先程申したようにいろいろあります。強迫神経症やうつ病、人格障害という病気もあるし、閉じこもりになるものもいるが、すべてに共通の特徴が1つだけあるのです。
何もやる気がないと昼間はずーっと寝ている。夜になると起き出して、新聞を読んだりして、いまだとパソコンいじりなどで十分眠ることができない。朝はさえない。こういう症状が一旦発生したら治らないですね。ほんとに治りません。最近はみなさんの周りにも見かけるかもしれませんが、一度なったら何年も、押しても引いても治らないのです。現在は多少の対応マニュアル等も出来ておりますが、20年昔の当時は「新しい現象」であり、旧来のカウンセリングの仕方では全然治らなかったのです。どういう原因でそうなったのか?
私はいろいろ研究して、ついに突き止めました。その突き止めるプロセスがほんとは面白いのですが、私の本を読んでいただくことにして、ここでは結論だけをお話いたします。
まず対象の子供たちに、いろいろ心理テストをして、その結果と家庭状況を照らし合わせます。必ず共通の特徴がありました。予想していた通り、父親がおかしいのです。父親が無気力な人もおり、勤務先では普通にやっていても、家に帰って来ると存在感がなくなり、何も言わないで片隅にじっとしている。もっとひどくなると、毎晩外で酔って帰宅する、アル中気味になっている、ひどい例ではときどき拘置所に出入りしたりするような父親もいました。あるいは、仕事がなくてブラブラしているので存在感がないという父親。さらに父親がいないという家庭もありました。そして共通して浮かび上がってきたのが、父親に問題があること。父親の何が必要であり、何が欠けているのかということに、私は問題意識を持ち始めました。
戦前時代から戦後も、20年間ぐらいはそういう無気力症状はあまり見られなかったようですね。実はいまより20〜30年前頃からだんだんそういう症状が増えてきたのですが、原因としては、何か欠けていたものがあるはずです。戦後30年くらい大丈夫だったのは、それまでの父親が「何か」を必ず持っていた、あるいは父親を補うものが社会にあったからです。では、それ以後の父親たちに欠けているものは何か。こういう問題意識です。
欠けていたものは、実は先程私が父性の定義として言った「まとめる力」即ち度量とか器量みたいなものです。そして、日本に伝わってきている文化を父親たちが子供たちに伝えていないということです。簡単な例を挙げると、男らしさも文化の1つです。父親が子供に、男らしさを伝えていない。最近は母親も女らしさを伝えられなくなっていますけど、男らしさを例とするような日本の精神的な文化というものを父親が伝えていないのです。
一番重要なことは、ルール・社会規範というものを教えていない。マナーもモラルも何も教えていないのです。家庭に帰って来ても、母親と子供だけがベチャベチャと一家団欒などとよくいうけど、父親が加わっていないのでは一家でもない。母と子供だけの密接な関係では、モラルもルールも何も教えられない。こういう家庭の状況が存在しているということが分かってきました。
母子共生という家庭で育つとルール・礼儀知らずの子供たちが出来上がる、少なくともそういう傾向になります。それがもっと程度が悪くなると、無気力という症状になるわけですね。こういう症状になったものを、どうやれば治るかを明らかにすると、さらに欠けていたものは何かが分かってきます。
先程、治療が出来ないと言いました。が、実は治療する方法が1つだけありました。どういう方法をやれば、この無気力青少年たちを治すことが出来るでしょうか。みなさん、教師かカウンセラーになったつもりで考えていただきたい。とにかく最初はどうやってもダメだったのですね。押しても引いてもダメだったが遂に、ただ1つだけの方法を私は発見しました。偉そうに言いましたが、じつは簡単なことなのです。聞いてびっくり、「何だ!そんな簡単なことか!」とみなさん思われるでしょう。
無気力になった青少年を治す唯一の方法は、「規則正しい生活習慣を取り戻させること」でした。彼らがやっていることの正反対に(笑)、朝は起きる、夜は寝る、昼間は3度のご飯をきちんと食べる。これだけをきちっとやらせるのです。
いま「簡単なこと」と言いましたが、実に言うは易く行うは難しで、リズムが昼夜逆転してしまった子供にとっても、それをやらせる大人にとっても、大変なエネルギーを必要とすることです。ともかく、昼間は起こしておかなければならないわけで、寝た子を無理に叩き起こすと、わめき散らしたり大変ですね。昼間無理に起こしておけば、たいていは夜は眠るようになります。昼間起こして、ご飯を食べさせることは、大変なエネルギーが要ることですが、これを実行させると次第に症状はよくなってきます。
しかし、この治療方法は自分の家ではダメですね。親には出来ません。大体、親たちがだらしがないから、無気力になっているわけで、そんな親から切り離して集団生活させるべきです。いまの日本の社会では、人権だの何だのとうるさいので、勿論無理やりは出来ません。強制したのが例のヨットスクール事件ですが(笑)、実は直観的には正しいことをやっていたのです。ただ、暴力的なことまでやったからいけない。無理やり連れて来るからいけないのですよ。
この場合の問題点は、子供の自由な意思を尊重して、「うん」と言ったものだけ連れて来るが、「嫌だ」と言えば連れて来られない。事実、10人に一人ぐらいしか「うん」と言わないのですけど、来た子供たちを合宿させます。
先程言ったように、朝は一定の時間に起こし、きちっとご飯を3回食べさせ、夜は消灯時間に必ず電気を消して、何も出来ない状態にして寝かせつける。これは断固実行する。予め承知の上で参加しているとはいえ、かなり強制的にやられるのですよ。
これをやると、子供たちは昼間は何もすることがなくて、最初はボーッとしています。そのうちに「もったいないな」と、何かしたいというふうになります。それからようやくその子供たちが学校へ通うようになる。普通一般の学校ではなくて、大工の見習いに行く、料理学校に行くとか、美容師になろうとか、そういう技能習得系の勉強をするようになる。その段階ではもう完全に昼間型の生活に戻っているわけですね。職業としての技能を身につけながら自立していく。こういう事実を見ると、規則正しい生活習慣がいかに大事なことか分かります。実は規則正しい生活をしていないと、私が「心の生活習慣病」と名付けた病気になるのですね。
みなさんよくご存じで、もう用心されているご年輩の方も多いと思いますが、身体の生活習慣病は一旦なると大変厄介です。しかし、その原因がはっきり分かっているから、治療することも簡単だし、予防することも出来ます。栄養のバランスをとって、適度の運動をしていればいいのだから、簡単なことです。
ところが私が名付けた「心の生活習慣病」というのは、なかなか治りません。規則正しい生活をしていないと、なぜこの病気になるのでしょうか?規則正しい生活をしていないと、欠けるものとは、秩序感覚です。あるいはルール感覚の欠如と言ってもいいです。
正しく一定のルールにのっとった生活は、その中にいることが気持ちよいはずです。心身ともに調子がよい状態になれるという感覚ですね。要するに、人間の生活には秩序が必要だということが、理屈ではなくて感覚的に分かっている状態です。ここが理解できないと社会生活は出来ません。人々と協力して何か仕事をするということも、チームを組んで分業しながら適材適所で活かすことも、さらに言えば自分の人生を切り開き生きていくことが出来ません。この感覚からさらにできてくるのが、構成力です。
秩序感覚をもとにして出来てくるものを私は「構成力」と名付けました。この辺は私の本にも書いてありますが、定義を簡単に言いますと「異なるいろいろなものを組み合わせて意味のあるものをつくり出す能力」です。最近は脳科学が発達しまして、頭脳の仕組みも分かってきました。大脳の中枢部にある前頭連合野(前頭前野ともいう)が、最も人間的な働きである中央司令部の役割を担っているのだということまで知られてきました。この中央司令部を我々は「自我」とも呼んでいます。
いろいろな情報が入ってきたら分析して、判断をして、さらに行動に移します。まさに航空管制塔のようなところですね。我々はみんなこれを持っていなければ、生きていくことが出来ません。判断せず、行動せず、人と協力する仕事も出来ないということでは社会生活はできません。だから人間らしい一番大切なところであり、これをつくるのには、秩序感覚と構成力が必要であるという話になります。
中央司令部が出来ないと、自分は何をしたらよいのか、したいのか、そういうものがないので無気力状態になるわけですね。
ここまでくると、大筋がかなり見えてきたかと思います。日本伝統の父親中心の家族で、父親がしっかりしている家庭では「前頭連合野が形成されていた」わけですね。仮に父親がダメ気味でも、せめて母親がまともなら多少ましですが、最近は大体が母親も子供のしつけ一つちゃんと出来ない。単に礼儀正しくない、マナーに欠けている、挨拶が出来ない、世間のルールを守れないとか、そんな表面的な次元のことにとどまらずに、実はもっと脳の中心部において異変が起きていたのです。前頭連合野が形成されていなかった。故に人間になっていないと言ってもいい(笑)。人間たるべき中心というものをつくるために、父親が持っていなければならない性質を父性と呼んでいたのだなと、最近ようやく私自身もきちんと理解できました。
ここで、みなさんに質問します。眠気覚ましに、ちょっと手を挙げていただきます。人間の前頭連合野は
@3歳頃までに出来上がると思う。
A10歳までに出来上がってしまうと思う。
B20歳までに出来上がると思う。
この3つに分けて、自分ならこう思うというもの1つだけ考えて手を挙げて下さい。
@の3歳までと思う人はかなり多い、まぁ3分の1ぐらいですね。Aの10歳までと思う方は半分以上です。Bの20歳までは、いませんね。ハイ!正解です。正確に言うと、8歳までに出来上がってしまいます。その後はほとんど形成されません(笑)。その後は努力して形成するのは非常に難しいが、20歳ぐらいまではまだ可能性はある。しかし普通の子供は8歳で完成してしまうのです。
私の『父性の復権』に書きましたように、構成力を調べるためのいろいろな心理テスト方法があります。それを使って測定すると、構成力がある子供と構成力がない子供というふうに、はっきりと現れます。小学校低学年では全員「構成力がない」という結果になります。というより、まだ使えないのです。幼児からだんだんと形成されていくのだが、低学年では使えるまでには発達していません。小学校4年生ぐらいからドーンと、「構成力あり」が出てきます。高学年(5年・6年)になると、半分ぐらいの子供が「構成力あり」というふうに現れるのです。人間というものは素晴らしいというか、恐ろしいというか、すごいものだということが非常によく分かります。遺伝子の法則に従って、いっせいに同じ時期にできるようになるのです。うちの子や孫たちはどうか、ちょっとテスト方法を知りたいとおっしゃるかもしれませんが、時間がないので、後から私の本を読んで測定していただきたいと思います(笑)。
8歳(3年生か4年生)で出来上がるのだが、それを使えるようになるのは大体10歳ぐらいです。私の心理テストによりますと、10歳ぐらいの子供たちは半分以上「使える」と出てきます。ところが意外なことに、24歳の青年、30代の青年などと大人たちを調べましても、やっぱり構成力は半分なのですよ。小学校5〜6年生で「半分」だからだんだん多くなるのかと予想すると、実はそうならないわけです。20代を調べようが、30代、40代、みなさんのような5〜60代とか70代の人々を調べようが、出てくる答えは「半分」です。
ただ、半分の「構成力がない」ほうに入ったからといっても、個々にほんとに構成力がないわけではない場合も勿論あります。たとえば教師で構成力が「ない」のほうに入るのは、非常に几帳面な性格の人にそう出る可能性もあるので、そんなに厳密ではないですよ。だから「ない」となってもがっかりすることはありません(笑)。みなさんのように職業をきちんとまっとうされている方は、まず「ない」ということはあり得ないので、仮にテストで「ない」のほうに入っても、構成力がないことはあり得ません。安心して結構ですが、ただお子さんやお孫さんが「ない」と出たら、構成力がないかもしれないと疑っていただいたほうがよいかと思います。
以上が父性についての基本的な説明になります。
父性の欠如は、その子供たちに、病的無気力(アパシ−)というふうに現われると申しました。もうちょっと分かりやすい、みなさんの身の回りにある生態というかエピソードを交えて、少しくだけた話を補足しましよう。
父性が足りないな、そう感じることは特に心理テストをしなくてもよくあります。たとえば私の勤務先は女子大ですから、女子学生を見ている中に、大体こういう行動や態度をとる女性は「父性が足りていない」というふうにすぐ分かりますね。みなさんも部下同僚等でそういう人がいると見分けが付くと思います。フリーターとか何かになっているのはあやしいのですけど、大会社勤めなど仕事をもっていれば、そんなにひどいのはないかなと思っています。
どこでも最近は、次のような例が増えているはずです。遅刻をして来ても理由も言わない。ましてや謝りもしない。学校の若い先生が最近そうなんですよ。教師たるべき先生が遅刻してどうするのか?遅刻者を叱るほうの立場じゃないかと言いたくなりますが、遅刻が多くなっています。「どうして遅刻した」と問うと返ってくるのは「前の夜、遅くまでテレビを見ていた」とか「趣味の何々をやっていた」とかです。趣味は人間味を豊かにすると思うけど、そのために人間として最低の義務を果たせない、自己管理ができていないのではやはりダメですね。
ある新任の先生がウサギを飼っているクラスを担当していました。夏休みにウサギの世話をしようかと学校へ来たら、ウサギが赤ちゃんを生んでいた。さあ、先生、パニックになって、どうしたらいいか分からない。誰もいないし、困り果てて、遂に校庭に穴を掘って、生まれたばかりの子ウサギを土の中に埋めてしまったというのです(笑)。なんでそういう反応になるのか、私にはさっぱり分かりません。何も困ることはない。ウサギの母親がついているのだから、赤ちゃんにおっぱいを飲ませながら、育てるでしょうに。そういうことも分からないらしいですね。
数年前よく話題になったので覚えておられるかと思いますが、講義の最中にお喋りをする学生がいっぱいで、授業が成り立ちません。そんな馬鹿なことがありますか?先生が“いかん”と一言いえば済む次元の話です。私ならお喋りをしたらすぐ怒鳴りつけて、やめさせます。それでもお喋りするの対して、怖い先生は「お喋りする者は外に出ろ!」と言う。
私はそうはしません。どうするか。「一番前に来なさい」と言って、私の目の前に座らせます。流石にちゃんと聞きますね。それでもダメなら学生証を出させ、メモします。まず絶対に効きますね。一番後ろの席でずっとお喋りしている二人に「学生証を出しなさい」と言って調べたら、私の授業を選択していないのが入っていた(笑)。「外は寒いから。ここは暖かいんで……(笑)」。「ここは喫茶店じゃねぇ!」と追い出しました。
最近の学生は、書類など先生に手渡すときに、相手のほうにきちっと向けて差し出すのは何割くらいだと思いますか。半分ぐらいとお思いでしょうか。東女には内緒ですが(笑)、2割ですね。「えっ、ほんと?東女でもそんなですか!」って言う方は、東女を高く評価してくださっている方ですが、別に東女だけではなく、どこの大学も全部そうなのです。
礼儀やマナーについて、何かちょっと注意しますと、「一度も注意されたことありません。親からも、学校の先生たちからも…」と言います。新学制6・3・3と12年間、教師は一度も注意しないと言う。そういうふうに大きくなった子供が、8割なんですよ。私は授業中にあくびすることも許しません。昔なら親たちが「女の子は人前でアクビなんかするものじゃない」と家庭教育していたでしょう。
いつ頃からか、誰も女の子にこの注意をしなくなった(笑)。みなさん、いかがですか。子供さんや、お孫さんに厳しく注意なさっているでしょうか。私が注意すると、1割ぐらいの女子学生が「ええっ?」とびっくりした顔をしますが、それは一番たちのいいほうです(笑)。一番ひどいのは、睨み付けます(笑)。そんなことを注意する教師は悪い教師だという気持なのでしょうね。
「どうしていけないんですか?」って質問されたときは困りましたね。まず言ったのは「美しくないから」(笑)。「そんなの私の勝手でしょう」と言われてそれまで。「貴女は恋人と一緒のときにアクビするか?」(「するわけないわ」という顔をする)。ほら、説得したと思ったら、やっぱり効果なし。先生は恋人じゃなかった(笑)。結局私は「先生が一生懸命講義をしているのに、アクビするのは礼儀に反している」ということで、押し通しています。 補注:道とおし はやしの心 つゆ知らず 不美人草の 花ぞかしまし(宗宣)
最近、机の上にボン!とボトルを置いて、何か飲みながら講義を聴いている子がいる。ひどいのはサンドイッチを食べながら聴いている。絶対に許されないことですよ。私はボトルを置くことも許しません。しかし他の教師が放任しているから、私がいくら厳しくしても効果がない。私の教室以外では、勝手にさせているので、しつけが統一されていない。しつけというのは、みんなが統一してやらないと効果がありません。家庭の中で、父親が「それは、いけないぞ」と教えても、母親が「いいのよ」と言ったらしつけにはならない(笑)。大学もまた、しつけのないところになっています。勿論、大学の前段階(6・3・3教育)が人間形成に最も大事なのは先程説明した通りです。大学生になってからしつけし直すのは至難な事ですよ。私がいかに奮励努力しても、実はもう遅過ぎて、ほとんどダメなのです。
最近の女子学生は、地べたに平気で座っているのも出てきました。石段のところに、人間が靴で歩くところですが、新入生で座っている者が必ず何人かいます。私は通りがかりに「汚いことはやめましょう」と声を掛けます。「日本人の美意識という感覚では地べたには座らない文化だよ」とか(笑)。急に文化が出てきても向こうはキョトンとして(笑)反応しないから、理屈は言わないで「汚ないから止めなさい」一辺倒にしました。それでもひと月ぐらいすると、大体、校内で地べたに座っているのはいなくなりますね。
地べたに座ったり行儀が悪い女子の場合、必ず家庭がおかしく、父親がしっかりしていません。しつけもされていない、礼儀がなっとらんというふうに共通項があります。父性欠如と見て間違いない。こういうのは就職試験のときには、面接でふるいに掛けて落とすこと。だが、面接を受けるときはちゃんと化粧しますし(笑)、地べたには座りませんから(笑)、見抜くのは大変です。大学で密かに生態観察をする必要があります(笑)。こうなった背景はいろいろあるが、最近特に目についた生態現象について、いくつかご紹介いたしました。
今日のような風潮になった根本的な、非常に重要な原因の1つに、みなさんあまりご存じなく、多分新鮮または唐突ですけど、「フェミニズム」あるいは「ジェンダーフリー」というものがある、というのが私の持論であります。
ジェンダーという言葉の意味は「文化的社会的性差」つまり「男女の差」です。男性・女性の別が生まれつき(生得)であるのは、誰でも知っていることですけど、生まれつきではない社会的・文化的につくられた性による区別があって、それはすべて差別になっていると言うわけです。したがって、男女の区別は全部やめろ、という主張をしているのがジェンダーフリーです。
本来は文化的性差をなくす「フリー」なのですが、これはつくられた性差だけなくせばよいという生易しいものではありません。彼女ら活動家の理論によると、「すべての性差はつくられたものだ。生まれつきは、女性が子供を産み授乳することだけである」、さらに現在では「ミルクがあるから授乳も要らない。だから出産だけが別で、あとは全部つくられた区別だ」ということになります。男らしさと女らしさの区別を否定するだけではありません。遂には父性と母性の違いというものも否定してしまうわけですね。だんだん話の筋がつながってきたでしょうか?
つまりは、父性というものは父親だけが持つべきではなくて、母親が持っていてもいい。母性というものは母親だけではなくて、父親も持っているのがいい。だからすべて半分ずつ分担すればいいのだ、こういうことになるわけですね。そして0歳児も1歳も、2歳でも、男性も半分は育児の世話をきちんとしろと。育児休業は男性も取ることを要求してくるわけです。
ジェンダー・チェックと称して、学校の子供たちが性差的な意識をもっているのを全部なくせと要求します。これを受けて学校でも性差否定教育というのが徹底しておりまして、男子が黒や青の体育着、女子は赤やピンク系統というふうに分けるのはいけない。男子が赤いランドセルや服を着てもいいし、女子だって黒い服を着て悪い事はない。要はまぜこぜにしてしまえと。名簿にしても、男女別に分けて作るのはダメで、まぜこぜにして、混合形式にしろという。体育の時間も一緒にさせろ、性教育も一緒にやらせます。
性教育も内容によりけりですが、高校の家庭科あたりはいろいろ異常な例がありますね。『正論』という雑誌に私が暴露したのですが、ある家庭科の女教師が高校生の男女を一緒の部屋に集めて、水中出産ビデオを見せました。このことが何を意味しているか、皆さんにはすぐには分からないと思います。そのシーンは妊婦が全裸で、風呂の中で出産する。苦しんでいる様子から、湯の水が赤くなり、赤子が見えてくる。それを若い男女に一緒に見せ付ける。女子は「自分が見られているような気がして」とても嫌だったとか、男子は「クラスメイトの女子がああいうふうになるのか」と顔を上げられなかったという。何のためにそうするのか、私もほんとは分かりませんけど、狂気としか言いようがない(笑)。理解する必要もないと思いました。
しかし、彼女らフェミニストの理屈は「女性が苦しんで子供を産む。男は出来ない唯一の差を男性たちにも知らしめるために一緒に体験させよう」という意図らしい。われわれは学校での性教育というものは、倫理的に男女関係はどうあるべきか、「性」というものは人類の生命を伝えていく尊厳な行いであるとか、教えるものだと思っていました。男女はどういうルールで付き合うか、お互いの人格を尊重しながら付き合いましょうとか、結婚するまでは純潔を大切にしましょうと。ところが活動家女性群は、そういう倫理は一切教えないで、ただ避妊や中絶の知識やセックスの技術ばかりを教えているのです。
最近のアンケート調査によると、高校の生徒で、結婚まではお互い純潔を守るべきであると思っている割合が、日本は男子で40% 女子で29%。なんと女子の方が低い!他に韓国、中国、アメリカで同様の調査がありますが、アメリカでは純潔は大事だといっているのが50%ぐらい。女子のほうが数字は高い。中国と韓国では共に70%ぐらいで、いずれも女子の方が高い。しかるに、日本だけが特別に低く、それも女子が異常に低い。日本の女子高校生だけが格段に低レベルです。何故でしょうか?
私が思いますに、「ジェンダーフリー教育と性教育」のせいです。つまり、いまの学校(小学校、中学、高校)で何をやっているかというと、性(セックス)の方法論知識の伝授なのですよ(笑)。ひどい例は人形の女性と男性の模型を使って、セックスの仕方を具体的に教えています。中絶の方法は…、コンドームの防禦率は…、ピルのほうがパーセントが少ない、などというところまで入り込んで「性教育」だと。こういうのは「知識・技術偏重の即物的性教育」と言うべきであって、本来の精神的、道徳的な学校での(純潔)性教育とは別の物です。だから子供たちは、「純潔」という言葉を聞いたことがない、そういう状況下にあるわけです。日本の子供たちは、精神的、道徳的に高まろうなんて、一言も聞くことなく体だけは大きくなってしまい、そのまま大学生になれるんですね。
セックス経験はどんどん低年層で増加しています。教育する立場の連中は、だから避妊方法とか、対策知識を与えておかなければいけないなどと言います。それは嘘ですよ。コンドームの使い方を教えると、子供たちはセックスに対する興味ばかりつのらせて、コンドームを使わないでセックスする者が増えています。セックスへの心理的抵抗感をなくしてやろうという親心でしょうか、ある小学教師が、教室内でみんなに「セックス!セックセ!セックソ!…」と唱和させた(笑)信じられない事例が報告されています。狂気じみた例をいくつか紹介していますが、まだたくさんこういう報告がされているというところに、日本の教育問題の根の深さが窺えます。国が狂っているということをみなさん是非とも認識していただきたいと思います。
こうなった一番の原因は、「男らしさ・女らしさ」という男女の区別を否定してしまうところに根っこがあります。「らしさを否定されて育つ」と、男性は腑抜けになり、女性は下品でふしだらになります。嘘だとお思いなら、その辺を見て歩けば、いくらでも「実例」がおりますから、よく分かるはずです。男らしさを否定されて育つと、ほんとに弱虫になってしまい、ちょっと苛められても抵抗しません。苛められ、抵抗しないと、ますます苛められますから、だんだん消極的になり「無気力になる」というわけです。男性が腑抜けになるのは勿論困りますけど、女性の場合はもっと悲惨で残酷な結果を招きますね。
最近の女性は確かに「ふしだらに」なりました。若い娘だけではなくて、いい年をした昔の美人までもだらしなくなった(笑)。と言うと「差別だ」とか怒られますが、ほんと見るに忍びません。昼間のレストランは女性群で占められているし、食事にかこつけて必ず酒を飲んでいますね。昼間はビール飲んで、夜には帰って家事をちゃんとするならまだいいほう。深夜でも飲んでいる女性がいっぱいで、バーは男性の行くところではない…、♪ひとり酒場で飲む酒は♪…なんて雰囲気じゃない。だから、男は黙って家でサケを飲む(笑)。赤提灯も女性群に占領されている状況で、私は行ったこともないが(笑)、噂に聞いております。深夜帰りは怖いから「女性専用」車をつくれとか言っている(笑)。
レポートの中にこんなのがありました。「林先生は、男らしさ(父性)と女らしさ(母性)が大切だというふうに、授業で仰るけれども……」、と批判が書いてある。教師を批判するのは勇気のいることです。なかなか見どころがあるなと、読み進めます。「私の家族は、普通の家とは違っているらしい。父親は日曜日でも、デモだといって組合活動に出掛けてしまう。母親は夜になるのを待って、子供をほったらかして、どこかに飲みに行ってしまう。こういう母親でしたけど、それでもなお、子供(私)はまともに育っています」(笑)と言う。まともでないのに限って「自分はまとも」だと書くから驚きますねぇ。勿論これは落第になりましたけど(笑)。落第にしたのは、私を批判したからではなくて、課題に応える内容がなかったからです。そういう父親というのは、昔からよくあった話です。だけど、母親が夜に外出して飲みに行くのが、どこが悪いのか?って子供が言うとは、恐ろしい社会になったものですね。要するに「父性も母性もなくなっている」ということです。
本日は父性がメインテーマなので、母性の話には深入りしませんが、ほんとに恐ろしい状況になっております。これについて私は『母性の復権』という本、それから『母性崩壊』という本も書いております。凶悪事件犯の少年たちの家庭状況を調べますと、必ず母性欠如が出てきます。母親が若い男と駆け落ちし、出戻って不倫の子を産んで、親に預けてまた消えてしまうといった家庭環境ですね。少年院にしても、あのKB事件の少年も出所しましたが、何年か経つと出されてしまい、親もとに返されるのですね。中にはいなきゃいいような、めちゃくちゃな親に引き取られる。すると、せっかくいい生活習慣がついていても、すぐに元に戻ってしまいます。
私に言わせれば、いまや裁判所がいささかおかしく、裁判官の健全な常識が不足しております。だから民間からも人を入れて裁判員制度にせよという論議になっているが、常識を備えた人は大体自分の仕事を持っているから、そんな大変な裁判なんか敬遠しますよ。それでフリーターみたいに、お金をもらえればいいなんていう非常識人が入ったらもっと困る。最近、裁判官に非常識なのが目に付きまして、特に女性が増えているのと関係ないでしょうか(笑)。
実は私も大学は法学部卒業ですけど、そのころ法学部に入る女性はクラスに一人いるかいないかでした。最近の法学部の学生は半分以上が女性で占められています。なぜかというと、普通に勉強をして覚えていれば、良い点数がとれる学部なんですね。私はその後、法学をやめましたけど(笑)、弁護士や裁判官になる女性がどんどん増えています。法律の知識に長けて、世間一般の常識のない人が多い。
常識がなさすぎる最近の判決例(東京地裁):窃盗犯で捕まった中国人男性、捕まるときに格闘しているうちに、警官の拳銃で撃たれた。そのために歩行不隋になったので賠償金を支払え、という訴訟です。
状況説明:あやしいぞと職務質問をした警官は、表彰したいくらい正当でした。問いかけた途端、相手はいきなり刃物をもって、つっかかってきて格闘になりました。警官のほうは武器をとったり、拳銃を抜いたりする暇もない。素手でしばし格闘しているうちに隙を見て拳銃を抜いた。相手は拳銃を見て逃げようとした。その瞬間に撃たれて弾が背中に当たったというのです。
さて女性裁判官はどう判断したでしょうか。背後から撃たれているという紛れもない事実がある。前からならともかく、後ろから撃つ正当防衛は考えられない。従って賠償金額6百何十万円を支払え(笑)という判決でした。
もしも男性裁判官ならそんな判断はしません。格闘とはどういうものかくらいは知っているし、単なる喧嘩よりも切羽詰まった、生きるか死ぬかで、相手は死に物狂いに刃物で切りかかっているのです。素手で闘い、隙をみて拳銃を抜いて撃つ。その瞬間に相手が後ろ向きになっても弾丸は止まりません。発射やめ!ってわけにはいかないですよ。女性はそこまでは分からないらしいんですなぁ。ただ形式的に「後ろから撃っているから正当防衛ではない」、したがって国は賠償の責任があると。「泥棒に追い銭」という諺どおりにお金をやれって(笑)。
中国系犯罪者からみたら、ありがたくて涙が出るじゃないですか。日本の警察に捕まるのは何も怖くない。巡査はピストルも撃てないし、捕まって罪になると待遇が快適だ。日常生活よりもずっと楽だ。暖房付きで食事もいい。こんないいところはないと、ほんとに言っているわけです。
私は、ときには「刑務所での待遇改悪を検討せよ」と提言しています。刑罰として入れる以上、待遇を悪くして、いたくないところにしなくてはいけません。誰でも行きたいような快適な場所であってはならないのですけど、どうも法務省はそうは考えていないらしい。
本題に戻りますが、子供たちに、男性と女性とは生まれつき違うのだという事実を意識させ、お互いに理解できるような教育をしなければいけないですね。男女の区別をなくせとか、まぜこぜに男女混合にしろとだけでは、子供たちの自我が正常に育ちません。なぜかといいますと、よく「アイデンティティ」という言葉を使いますが、心理学の分野での専門用語で、自分は何者であるか、どういう帰属感を持っているかという「意識」のことです。これが自我の一番基本的なものになります。つまり、自分はどういう家族の一員である、あるいは東京都の出身である、さらには日本人であるか、そういう帰属意識ですね。
この中でも一番大事なのは「自分は男であるか、女であるか」という帰属感であり、これもアイデンティティの重要な要素になります。これがないと、自我が正常に育ちません。男性という属性を持っている者として行動をすることによって、男らしさというものを育成していくことが可能になる。こういう目標なり理念があって初めて、「人間」というものは向上していくのです。
女性についても同様で、女らしさという理想があって成長できるわけです。「理想」は時代によって多少は変わりますけど、総じて男性は強くて勇気があり、弱きを助け強きをくじくといったところがありますね。女性だって持っていいだろうと言われるのですが、女らしさというと、古来「優しさ」とか「しとやかさ」という属性が考えられています。いずれにせよ、生来の「らしさ」をなくしてしまうと、先程も申しましたが、男性は腑抜けに、女性はふしだらになるので、人間が下品になってきますね。最近の時代は、理想を否定してしまったために、女子はつつましく、しとやかにとか、行儀をよくしなさい!そういうことは聞けなくなりました。いま高校生以下の子供がいる若い親たちで、「女の子なのにお行儀悪いよ!」と叱る人はほとんどいません。だから私が大学生になったばかりの女子に対して「行儀が悪い!」と注意しても、なんだ?って睨まれるわけで(笑)、逆にそんなの差別だ!といわれそうな感じです。
戦後民主主義の中で高校生まで男女平等・無区別の思想を叩きこまれてくると、ほんとに女子に行儀作法なんて言うのは差別だと思うようになります。女性の美徳なんて、誰一人言いません。言葉遣いも、男言葉と女言葉などと区別してはいけない。男子だけに「君」と呼ばせてもいけない。男女とも子供全部を平等に「さん」と呼びなさいという教育が長年の学校教育で強制されてきました。
女言葉を使わなくなった女子たちは、みなさんお気づきのとおり、女子に特有の代わりの言い方「サーサー言葉」を発明しました。語尾上げ言葉や「じゃないですか」言葉も、「……ね」とか「……よ」という女らしい言葉を使わないための発明です。それを男性が真似して使いだして(笑)、「じゃないですか」、「じゃないですか」って男性がテレビで言いまくっている。言葉の世界もどんどん性差がなくなっています。どこかで間違ってしまったのだと思いますね。
男言葉と女言葉、男文化と女文化と分かれているのは、文明化の遅れだとよく言われる。だから日本人は後進だと言う人もいます。欧米で、特に英語等は男と女の言葉は全く同じだが、あれは進んでいる言語、日本語は遅れているなどと。しかし私は、そう言う見方は間違いだと思います。真実は全く反対だと思っています。
文化が発達するということは、男性文化が洗練されていき、女性文化も洗練されて、お互いに分かれていく。即ち「分化する」ことにより、だんだんと洗練されていくというのが、ほんとの文化の発達であります。実は男性文化と女性文化に分かれて洗練された日本文化は、一番発展していた文化だったのです。
この男らしさの美しさ、言葉遣い、振る舞い、そういうのが「粋」だとか「いなせ」という言葉を生みました。他方で、女性の着物文化、踊りとかお茶とかの立ち居振る舞いの美しさ。それぞれの美しさが分化して発達したのが、一番素晴らしい発達なのですね。このことが理解されないまま、それは差別だと言って否定しようとしているのが日本の現状です。三月の雛祭り、五月の端午の節句などの行事も否定しろなどと、言われています。そういう環境で育てられたら、子供たちのアイデンティティは育成されません。
男子も女子もそれぞれの健全な自我が育たないという状況に陥っているのが現代日本の実態であります。
「死語」になった言葉は、ほんとに多いですね。行儀よくしろ、とは男子に対しても女子にも共通で言いますけど、「お行儀」と言うのは女子についてですね。どうやったら「お行儀」「おしとやか」という言葉が復活出来るのか、私は孤軍奮闘しているわけですが、みなさんにも是非その運動にご参加していただきたいと思います(笑)。
おわりに、死語になっている言葉で、私が復活させたいと思っている四字熟語をご紹介して、ひとまず私のお話を終わりにさせていただきます。
これは、50歳以下くらいの集まり等で、手を挙げていただくと、ほんとに知っているのは一人ぐらいしかいないのですね。ここは50代以上の方が多いから(笑)そういうことはないと思いますので、手を挙げて!なんて失礼は申しません。その言葉とは「厳父慈母」です。
みなさんはよくご存じの言葉ですが、実は最近ではついぞ聞かれることがなくなっていますね。私はPTAなど、いろんなところで講演しますが、「厳父慈母」という言葉を聞いたことがないという聴衆の人たちが圧倒的に多いのです。特に学校のPTAだと若い人たちばかりですから、全く聞いたことがないそうです。先程来からの「父性と母性」というのは、正に「厳父慈母」として異なった性の親が協力するから、良い子供たちが育つことでありまして、父親と母親が全く同じことをやっていたら子供は健全には育ちません。
中学生が「心の病」になって私のカウンセリングを受けました。彼が最後にこう言ったのは、「先生、僕の家には父親が2人いる、そんな家庭でした」と。父親が何か叱ると、母親まで一緒になってガミガミ言っているので、母の優しさを感じたことがないというわけです。他方、母親に質問すると「いやだわ、夫婦は教育の態度が同じでないといけないから、私も厳しくしてたんです」って。「お母さんというのは、優しくなければいけない。しっかり優しくしていればそれでいいのですよ、それが一番大事なことですよ」と言ってあげました。どうやら分業否定論に惑わされて、分業は悪いことだと思っているから、父性と母性という違いなど考えもしないのですね。
厳しいと言っても、やたらなぐったり、威張ったりすることでは勿論ありません。まず父親自身が自らに厳しくなければいけない。模範を示さなければならない。背中も見せねばならず、子供に教えていくという非常に辛い立場にある。父親というものは大変なんですよ(笑)。頑張って、子供の前では堂々と胸を張っていないといけないのです。多少なりとも演技も必要で、だんだん見破られていきますが、それは仕方がない(笑)。幼児のときは騙してでも父親は威厳を保って立派そうに見せ、子供に目標や模範を示しておくことが肝要です(笑)。子供の成長につれてだんだんと対等になっていくのが理想的です。
母親はあくまでも優しく。ガミガミ言っても子供は言うことをきいたためしはありません。優しいお母さんを悲しませてはいけないと思うことで、子供は身を持していくものです。危ないところには行きません。悪いことはいたしません。優しいお母さんが心配している顔を思い出せば、盛り場をうろうろしたりしませんよ。大体が母親が家にいないのが原因であって(笑)、盛り場をうろうろしている女子たちは「親はいねぇよ。だからいいんだよぉ」と必ずそう言います。ひどい例では、夜中にゲームセンターで遊んでいる子供に、「親が心配してるよ」と言うと、「母親は二階でパチンコしてるよ」と言いました(笑)。
やっぱり母親たるものは、子供たちの思春期ころまで、しっかりと家にいなければいけないと思います。勿論、父親もなるべく早く家に帰って(笑)放浪などしないで、子供の遊び相手をするというのが大事だと思います。「父性の復権」ということも私はそんなことを考えながら言っております。
どういう性質を持たなければいけないか、という視点から「父性」を考えてまいりました。父性の復権というと、世間では家父長制の復権ということかとか、父親をまた威張らせてくれるのかとか、間違って取られている方もおられます。が、私は父親は威張ってはいけない、立派にならなければならないと言っているのです。
日本がこんなにダメになってしまったのは、威張る父親がいなくなったためではありません。「こういう意味での父性が、失われているというところにある」というのが私の結論でございます。ひとまず、これでお話を終わらせていただきます。どうもご清聴ありがとうございました。
(拍手)
| 司 会 | どうもありがとうございました。今日は「厳父慈母」という誠に聞き慣れないお言葉で(笑)、耳が痛いのではないかと思います。…(会場から「君は若いからね」の声あり)…恐れ入ります(笑)。では、質問を受けたいと思いますので、お手を挙げてください。 |
| 質 問 | 35年卒です。韓国とか台湾では18歳〜19歳くらいの2年間、強制的になんらかの公役務に従事を必要とするらしい。先生はいかがお考えでしょうか。 |
| 講 師 | まさに我が意を得たりと、私も賛成であります(笑)。昔、まだ戦後民主主義が盛んな頃、金田正一(元国鉄投手)さんは、そのへんの下らないやつらを軍隊にたたき込めといって大顰蹙をかいました。表現の仕方は別として、先程私が言ったような、「無気力」症状に近い青少年男子諸君は合宿させると改善されるのはほんとです。同じように、軍事教練として1〜2年、あまり長過ぎなければ、必要かもしれません。人格を確立し直すという意味では1年で十分だと思います。ある程度厳しい生活習慣、規則正しい体験をさせないと、ほんとに日本の青少年は腑抜けになってしまいますね。 ともかくも、若い人の5分の1がフリーターというのですから、こんな大損失はありません。「少子化」問題を騒いでいますけど、私に言わせれば、少子化で不安になるよりも、フリーター化でダメになっていくほうがよっぽど怖いんですよ。その方を何とかしなくてはいけない。簡単に言うなら、産まれてくるのはいくら少なくてもいい。きちっとした家庭のしつけ、家庭教育をして立派な人格に育成していけば、むしろ少数精鋭主義でも大丈夫、心配ないですよ。若者だけが労働人口ではないんですよ。 女性は子育ての終わったあと大変なパワーをもっています。それを活用すればいい。何も昼間からレストランでビールを飲んでいるのはもったいない。高齢者も、停年だといって60歳くらいで辞めさせられているが、まだいくらでも働ける人がいっぱいいるのだから働いていただいたらいい。だから労働力が不足するというのは、どうも信用できません。 3K敬遠とか、肉体的制約などの側面と、それ以前の人間的資質が低くなっている、労働力としても質がダメになっている、そのほうが遥かに大事な問題なのですね。学校教育ではダメ、家庭教育でもダメ、それでは実社会で少しでも鍛え直すという方法を真面目に考えなければいけません。まぁ軍隊とは限らないけど、何かそういう機会を社会のほうから検討する必要はあると思います。以上がお答えです。 |
| 質 問 | 43年卒、徳田です。前頭連合野のお話を承りましたが、これは一旦形成されると失われないものなのか、あるいはメンテナンスするための何か努力というものが必要なのか(笑)、そこを承りたい。 |
| 講 師 | 一旦形成されたら、まずほとんど失われることはないですね。その代わり8歳を過ぎると急速に形成するのは難しくなる。メンテナンスというのは、老化防止とほとんど同じらしいので、要は「よく使う」ということです。頭を使うといっても、左脳と右脳がありますが、この場合は左脳だけ使っていたのではダメですね。右脳も含めて両方を使う必要があります。左脳と右脳の真ん中に橋があり、両方の連絡を司っているので、両方とも使うことが大切だとされております。 みなさん、是非、右脳のほうも鍛えていただきたい。みなさん優秀で仕事のほうも左脳中心にやっておられると思います。普段右脳のほうはどうやって鍛えるかといいますと、「趣味を豊かに」、音楽とか運動をやり、着想とかアイデアも大事です。たとえば囲碁をやること。 私は大学で、正規の講座で囲碁を教えています。大変人気がありまして、120人〜150人ぐらい集まるのです。毎年度、囲碁をゼロから始め、一応は打てる程度のところまで指導してやります。ところで、囲碁を教える場合に大学生から始める人が一番難しい。なぜでしょうか?実は右脳が一番ダメになっている時期だからですね。大学受験の勉強では、実は「左脳ばかり鍛えている」から、相対的に右脳は全然使われていないのです。ところが「囲碁」というのは右脳と左脳を同時に総合して使わないといけません。広い盤面にアイデアを絵に描くようにして一局の姿を限りなく具体的にイメージするゲームと言ってもいい。相手がどういう手を打ったらこうなるという未来図を頭の中に置いておき、イメージの世界が頭の中で動態画面になっていないと、それこそダメなんですね。 勿論、目数の計算とか現実的な死活問題など(取るか、取られるか)左脳の働く部分もあります。ここで囲碁の宣伝をしてもしようがないけど(笑)、左脳と右脳、総合して使う練習をしますと、頭脳が若々しく保たれますので、是非実行していただきたいと思います。 |
| 質 問 | フェミニズムとジェンダーフリー問題のお話がございました。日本は、フェミニズムとかジェンダーフリーという考え方は、昔はむしろ希薄だったはずです。戦後しばらくして、盛んに言われるようになったわけですけど、欧米から入ってきたとは思うが、なぜ、日本でこれほどまで「そういう考え方が普遍的になって」しまったのか?先生はどのようにお考えでしょうか。 また、発信元である欧米においては、本来の正しい意味でのフェミニズムあるいはジェンダーフリーというものが定着しているのでしょうか。その辺のところお話をいただきたい。 |
| 講 師 | 日本でこんなになってしまったのはなぜか、原因はいろいろあるのでしょうが、実は私もよく分からないのでお答えできません。 欧米のほうの話をちょっとさせていただきます。日本で流行しているフェミニズムは、正確に表現すると「ラジカル・フェミニズム」というものであります。もともとフェミニズムにはいろんな種類がありまして、中には母性を大事に考えるフェミニズムもあります。エコロジカル・フェミニズムというのは、地球全体の環境の中で「男女の共存」を考えていこうというものです。その他いろいろあったのですが、日本がヨーロッパから直輸入したものは、たまたまヨーロッパそのままの「ラジカル・フェミニズム」という、母性を否定するし、男女差も否定するような思想だったのです。 母性をミニマム化せよ!とか馬鹿げたことを言いますが、そういうラジカル・フェミニズムは全共闘運動の派生物として出現してきたものです。その世代が非常に有能な上野千鶴子など、いっぱいいて、世間に広めたことも1つの原因だと思います。しかし彼女の著書を読んでみますと、残念ながら全部直輸入で、内容は欧米のフェミニズムそのままですね。誰も原典の英語本を読んで一々検証しないから知らないだけですよね。直輸入した話だけで、オリジナルでないから内容空虚ですね。実はヨーロッパで、ラジカル・フェミニズムがやはり全共闘運動と同じ頃に、「カルチエ・ラタン」とか何とかいう、フランスやらあちこちではやりました。その同じ流れをくんでいます。 何と、彼女らが国連を占領してしまいます。国連で「女性差別撤廃条約」がつくられました。この国連の人権と男女平等とかいう部門を占領してしまったのが、ヨーロッパのラジカル・フェミニストたちですね。それを誰も知らないし、とくに日本人は国連幻想の傾向がありますから、国連というのはどの部署もすベて中立且つ公正だと思い込んでいます。けれども、そんなことはない。人権何とか委員会、男女平等何とか委員会というものは、委員がほとんどラジカル・フェミストたちに占められていると思って間違いありません。 「女性差別撤廃条約」というのは、日本の男性政治家たちが何も知らないまま、「女性」というものに媚びて、ともかく男女平等を言っているのだからいいと思い、国会で批准してしまったのです。「男女共同参画社会基本法」も、何も中身を知らないで、それも通過させてしいました。実はラジカル・フェミニズムによって、つくられたものです。 「女性差別撤廃条約」第1条には、「区別は差別なり」と書いてあるのですよ(笑)。みなさんご存じでしたか。こんな重大な間違いが書いてあるのになぜ批准したのでしょうか。区別は差別だと決め付けているから、それでは「男女の区別はしていけない」という論議がまかり通るのは当然です。そんな話はおかしいと思いますけど、こういう状態にあるんですね。 こういう思想で、一番極端に走ったのが「スウェーデン」という国でした。新聞にはスウェーデンを誉めた記事がいっぱい出ています。新聞の家庭欄には、スウェーデンはこんなに素晴らしいといった調子ですね。男で、そういうところをちゃんとチェックしているのは私ぐらいかと思いますが(笑)。みなさんは、スウェーデンは福祉国家であり、男女みんなで同じように働き、子供たちも保育所で平等に育てている、素晴らしい国であると、宣伝されてきたと思います。しかし、スウェーデンの実態をリポートした本がごく最近出版されました。 それによると、スウェーデン経済は破綻に瀕していることが明らかになりました。当たり前ですよ、高福祉なら高負担ですから。税金は50%以上も取られるという現状なのです。個人の経済が破綻するだけでなく、国家経済も破綻してしまいます。兎に角、ものすごく資金負担が大きいんです。いま日本の介護保険を思い浮かべれば、その感じが窺われますね。制度ができたのは良いことですけど、どんどん給付希望者が増えており、いつかはパンク寸前の感じになっています。必ずそうなるのだから、私は介護でも育児でも全部家庭を基本にして考え、家庭内で基本的に対応するよう誘導してやらないと、一国の経済は破綻するぞと言い続けてきました。 現実として、スウェーデン経済が破綻に瀕してしまいました。ヨーロッパで第一の赤字国ですから。もっと恐ろしいことに、聞くと意外に思いますが、先進諸国の中で犯罪王国トップになっていたのですよ。数字を疑わないでください。びっくりものです。強姦事件(人口当たり。以下同じ)が日本の40倍です。強盗事件は100倍。ちょっと見当がつかないですが、毎日どこかで銀行強盗が起きているそうです。アメリカは犯罪でも帝王国と言われますが、スウェ−デンの刑事犯件数はアメリカの4倍です。こういう信じがたい国になっているということを、ご存じないでしょう。 なぜこう紊乱(びんらん)しているか。それは子供が、家庭で育てられていないから、愛情の豊かさに欠けているからです。ほとんど家庭という仕組みが崩壊しています。離婚歴のある家族が50%です。だから男親か女親か、片方とだけで住んでいる子供が半分以上なのです。アメリカもそれに近いそうですけど、父親を知らない子供が半分とか言われるひどい状態にあります。だが、アメリカの素晴らしいところは、先程も言いましたように、「これじゃいかん。家庭を建て直せ」と号令して、みんなが頑張っているわけです。 日本は最近ようやく、多少は分かってきたらしく、「家庭が大事だ」ということを、みなさんで言うようになってきました。私は20年も前からずーっと言い続けてきましたけど、やっとこの頃、聞いてもらえるようになりました。私は気が付きました。この頃フェミニストたちはスウェーデンの「ス」の字も言わなくなった(笑)ということです。黙ればいいというものじゃない、責任をどうとるのか、と私は言っているけど(笑)、責任をとるものは一人もいません。それは別として、いかにも悲惨な状況に落ち込んでいるのがスウェーデンの実態です。だからスウェーデンを天国のように宣伝していた連中、どう責任をとるのか知らないが、ほんと、いまは地獄のような国と言うべきです。北朝鮮を天国のように思わせ、連れて行き、じつは地獄だったという責任を、朝鮮総連にどうとるのかといっても、誰も責任をとらないのと同じようなことですよ。 日本は、幸いにも、まだスウェーデンほどには悪くなっていないのですけど、でも依然として「男女共同参画基本法」というものが幻想を目指しているのです。「スウェーデン」という言葉を使わないだけで、原理はそういうものを目指しています。しかし、日本の家族はそういうようになっていない。むしろそうなっていないのは日本の家族だけだと言うべきです。 フェミニストたちは、欧米を模範にしろと、ヨーロッパは先進しているからと言うけど、実はヨーロッパが一番おかしなほうに進んでいるわけです。日本は、先進国の中では家族がまだまだ健全に保たれておるほうです。一旦壊れてしまうと、再生するのは至難なことです。アメリカほど壊れてしまうと、いくら再生運動をしても、まずなかなか再生しないですよ。日本のように、まだ完全には壊れていないところを、せめて守らなければいけません。 簡単に夫婦別姓だの非嫡出子の差別撤廃だのと主張する向きもいますけど、隠し子(笑)や、非嫡出子もいる人がいる(笑)かもしれない……、ちょっと具合が悪い人には多少我慢してもらっても、非嫡出子等はある程度冷遇してでも、法律婚による家族というものを守らなくてはいけません。勿論、非嫡出子の権利をゼロにせよとは申しません。もともと半分権利はあるのでしょう。それを嫡出子と同じにしては、法律婚のメリットがなくなってしまい、家族崩壊はとまりません。法務省が全部同じにする方向を今度打ち出しました。いまのところ戸籍の表記だけを同じにしろと言うだけで、相続法までは触れていませんけど、フェミニストは相続も同じにしろと要求しています。しかしこの区別は差別ではありません。 差別というのは辞書を引くと、「謂われなき軽蔑とか低い待遇をすること」とあります。「謂われなき」というのがあるわけです。私は非嫡出子との区別をしているというのは、謂われはあると思います。それは差別ではないのですよ。これに賛成する人は多くないかもしれませんが、そういう問題があるということだけは知っておいていただきたい。子供に罪はないので、それは私も同情します。ですから、子供を個別的に救済する手段をとらなければいけないと私は思います。ただしそれを救うのに、「戸籍制度を変えてはいかん」ということです。 制度は別の意味でも大切なのです。戸籍制度は国にとって大事なもので、しかも日本は家族単位で戸籍を管理しています。ヨーロッパやアメリカは個人単位で管理しているのです。家族で管理するほうがよっぽどいいのです。日本はいいところをいっぱい持っているんで、これを崩そうとして暗躍しているのがラジカル・フェミニストたちですよ。ラジカル・フェミニストというのは、ただ男女平等を唱えているだけではない。国を崩そう、壊そうというものだということを是非知っていただいて、私のフェミニズム批判を応援していただきたい(笑)。 |
| 司 会 | いかがでしょうか。大体、結論が出たようでございますので、このへんにしたいと思います。林先生にもう1度、大きな拍手をお願いします。……(拍手) |
経歴
昭和12年(1937年)、長野県飯田市に生まれる。
昭和37年、東京大学法学部卒業。
昭和43年、東京大学大学院経済学研究科修了。経済学博士。
昭和45年、東京女子大学専任講師、以後助教授、教授となる。
現在、東京女子大学文理学部教授。専攻は深層心理学。
日本ユング研究会会長。
著書
『父性の復権』、『母性の復権』、『家族の復権』(ともに中公新書)、ユング心理学入門シリーズ三巻(PHP新書)、『日本神話の英雄たち』(文春新書)ほか